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2025年06月09日 更新

情報は疑え。認知バイアスと情報バイアスを認識しなければ情報に踊らされる話

今回のSukimagaコラムでは、何らかの情報を得る際の私自身が気をつけていることについてお話したいと思う。
一般的に認知バイアスと情報バイアスと呼ばれているようなもののお話だ。

もはやおいきれない数の情報が毎日の生活の中を駆け巡る。

情報を得ることは簡単だ。スマートフォンを持って、ブラウザやらSNSアプリなんかを開けばたいていニュースがまとめられているだろう。

テレビをつけなくても情報は腐る程入ってくる。
しかし情報とは常に記者の、または記者以外の思想的意図が含まれていることに留意しなければならない。

情報を得る際に大切なことがある。

  • 情報にはバイアスがかかっていることを認識する
  • 自分自身にもバイアスがかかっていることを認識する

第一に、私達が得た情報にはバイアスがかかっていることを常に意識しなければならない。

各種メディアのニュースひとつとっても、そのメディアのスポンサーに関連する事件、事故は普通報道しない。資金提供を受けているのに、そのスポンサーの不祥事など書くことはできないのが世の常だ。

公平公正をどれだけ歌っていても、完全独立型のメディアでなければ情報にはかなりバイアスがかかっているのだ。もっと言えば、資金提供をどこからも受けていないような完全独立型のメディアがあったとしても何らかの思想的バイアスがかかっていることには変わらない。

第二に、自分自身にもバイアスがかかっていることを認識しなければいけない。

私達自身は、自分の都合の良い情報しか信じないし、そもそも自発的に都合の良い情報しか取りに行かない。単純な話、自分に都合のいい情報(興味が歩かないかなども含む)しか目に入ってこないのだ。

そして、興味の範囲を広げて、様々な情報を見るようになったとしても、やはり自分と反対意見の情報を信じることは少ない。あるテーマに対してAとBという解釈があったとき、自分がAに偏っていれば、Bという解釈の納得のいくような説明を受けても、よっぽどAからBに鞍替えすることは少ない。

つまり、情報自体と自分自身のどちらにもバイアスがかかっていることを認識することが大切だ。
情報の発信元は基本的には人間なのだから、バイアスがかかるのは当然だ。問題になるのは、情報の受け取り方だ。情報を得た人が、その情報ひとつだけですべてを信じてしまうことなのだ。

何度もいうが情報自体と自分自身にバイアスがかかっている。そして厄介なのは、情報にかかったバイアスと自分にかかったバイアスが同じバイアスだった場合、ほとんどの人は恐らく何も疑わずにその情報を「真」として一瞬で受け取ってしまうだろう。

なぜなら、自分自身が頭の中で信じている考え方と、情報の中の考え方が一緒であれば、「自分は間違っていないのだ」、と錯覚できるからである。

どんな大手メディアであろうと、どんな影響力のある有名人だろうと、何も関係ない。
極論を言ってしまうとどんな信用のある発信者であろうと「情報は疑え」ということになる。

そしてあらゆる解釈が存在する場合には、自分が信ずる解釈とは違う解釈も確認し、総合的に自分で情報の再構築を行う。推理をするように、自分の中で自分の納得の行く答えを見つけることが大切だと思う。

情報バイアスと、自分自身にかかった認知バイアスを知るだけでも、少しづつ世の中の見え方、情報の受け取り方は変わってくるだろう。少なくともこれらに意識的に気づくことができれば、自分自身が今バイアスがかかった考え方をしているなぁ、などと気づくことが出来るし、その先の情報に対する判断も冷静になれるだろう。

最後に情報に含まれる嘘について。

よく情報は嘘も混じっていると言われる。そのとおりだ。情報にはたくさんの嘘が含まれている。
意図せず嘘が混ざっている場合もあるし、意図して嘘が混ぜ込まれていることもある……

私自身の考えではあるが、結局のところ真実とは自分の目で確かめるまでは嘘か真実かは確定しきれない。

ものすごく善人として知られている人がいたとする。この人が極悪非道な行動をしているという噂が出る。もちろん善人として知っているから、「そんなひどいことするわけがない!」と信じてあげることも出来る。だが、残念ながら「やっている」可能性があることも完全には否定しきれない。

自分自身の目で見ていない限りは、嘘も真実もわからない。悲しいけど。